マキネッタ(モカポット)はなぜ生まれたのか。洗濯機とファシズムと、家庭のエスプレッソ

イタリアの家庭のコンロに、必ずと言っていいほど置かれている八角形のアルミ製コーヒー器具。マキネッタ、あるいはモカポットと呼ばれるあの道具だ。

前回、エスプレッソマシンの誕生の物語を紹介した。では、家庭でエスプレッソのような濃いコーヒーを淹れるマキネッタも、同じ起源から生まれたのだろうか?——答えは「いいえ」だ。マキネッタはエスプレッソマシンとは別の系統、別の時代、別の動機から生まれた。しかもその背景には、洗濯機とファシズムという、意外な要素が絡んでいる。

今回はマキネッタ誕生の物語をひもといてみたい。


エスプレッソマシンとは「別系統」

まず大事な前提から。マキネッタは、バールにある業務用エスプレッソマシンとは、まったく別のものとして生まれた。

エスプレッソマシンが1901年にルイジ・ベゼラによって発明され、バールで速くコーヒーを提供するための業務用機器だったのに対し、マキネッタが登場するのはそれから約30年後の1933年。しかもその目的は「家庭で、バールのような濃いコーヒーを淹れる」ことだった。

仕組みも異なる。エスプレッソマシンが高い圧力(現代では9気圧)で抽出するのに対し、マキネッタは蒸気圧のみ(およそ1〜2気圧)で抽出する。そのためマキネッタで淹れたコーヒーは、厳密には「エスプレッソ」ではなく「エスプレッソ風(espresso-like)」と呼ばれる。濃く力強い一杯ではあるが、バールのエスプレッソとは別物なのだ。

エスプレッソマシン(1901)
→ バール用・高圧・「速さ」が動機

マキネッタ(1933)
→ 家庭用・蒸気圧のみ・「家でバールの味を」が動機

発想の元は、なんと「洗濯機」

マキネッタ誕生には、驚くようなエピソードがある。その発想の元は、コーヒー器具ではなく洗濯機だったのだ。

マキネッタを発明したのは、アルフォンソ・ビアレッティ。彼は10年間フランスのアルミ工業で働いた後、1919年に故郷ピエモンテ州クルジナッロで自分の金属加工の工房を開いていた。

ある日、ビアレッティは妻アダが「リシヴーズ(lessiveuse)」というフランス式の洗濯器具で洗濯をしているのを観察していた。この器具は、密閉されたボイラーの底で水を沸かすと、その水が中央の管を上って、上部の穴から洗濯物の上に広がり、洗剤と一緒に衣類を洗う仕組みだった。

この「底で沸いた水が管を上って上部に出る」という構造——それこそが、マキネッタの設計の基礎になった。日常の洗濯風景から、イタリアの国民的コーヒー器具が生まれたのだ。


マキネッタの仕組み

リシヴーズの原理を応用したマキネッタは、3層構造になっている。

【下部】ボイラー
 → 水を入れて加熱する
   沸騰すると蒸気圧が生まれる
    ↓ 圧力で湯が押し上げられる
【中央】バスケット
 → コーヒーの粉をセット
   上ってきた湯が粉を通過して抽出
    ↓ 抽出されたコーヒーが上昇
【上部】ポット
 → 抽出されたコーヒーが溜まる

下部で沸いた湯が、蒸気圧によって中央のコーヒー粉を通り抜け、上部に濃いコーヒーとなって溜まる。あの「ゴボゴボ」という音がしたら、抽出完了の合図だ。まさに洗濯機のリシヴーズと同じ原理である。


アルミニウムとファシズムの時代

マキネッタがアルミ製であることには、実は政治的な背景がある。

1930年代のイタリアでは、アルミニウムは新しい技術時代の象徴だった。当時のファシスト政権下では、鉄は「19世紀の材料」、アルミニウムは「20世紀の材料」とされ、人類を未来派(フューチャリズム)の正しい方向へ導く新素材として、国を挙げて推奨されていた。

さらに経済的な事情もあった。ムッソリーニ政権は外国産のステンレス鋼に禁輸措置をかけ、国内でのアルミニウム開発を事実上独占していた。これはアウタルキー(自給自足経済)と呼ばれる政策の一環で、イタリア国内で自給できる素材を優先する狙いがあった。

つまりマキネッタのアルミ製の本体は、こうしたファシズム期の自給自足経済の産物でもあったのだ。皮肉なことに、この同じ政権はカフェ文化を抑圧しようとして、カフェへの新しいエスプレッソマシンの設置を禁止し、コーヒーの輸入も制限していた。バールが抑えられる一方で、家庭用のモカポットが広まる土壌ができていた、というわけだ。


発明当初は売れなかった:息子レナートの功績

意外なことに、マキネッタは発明当初、それほど売れたわけではなかった。

1934年から1940年の間、モカはアルフォンソがピエモンテの毎週の市場で手売りするだけの、地方的な商品にとどまっていた。この6年間の生産数は7万台ほど。決して大ヒットとは言えない数字だ。第二次世界大戦中は、コーヒーとアルミの価格高騰により、生産そのものが停滞してしまう。

転機が訪れたのは戦後だ。1946年、アルフォンソの息子レナートが事業を引き継ぎ、製品ラインをモカ・エクスプレスという一つの製品に絞り込んだ。そして大規模なマーケティングキャンペーンを展開したのだ。

レナートは1950年代初頭、父アルフォンソをカリカチュア化した「口ひげの小さな男(Omino coi Baffi)」というマスコットキャラクターを生み出した。このキャラクターは「家でもバールのようなエスプレッソを(in casa un espresso come al bar)」というスローガンとともに、ミラノ中の看板を埋め尽くした。ある年には、見本市の入口に6メートルを超える巨大なモカポットの像を設置し、カップにコーヒーを注ぐ姿を披露したという。

この戦略が功を奏し、モカポットはイタリアを代表する製品へと駆け上がっていく。2001年までに累計2億2000万台、その後3億3000万台を突破。今ではイタリアの全世帯の約90%が所有するという、まさに国民的な道具になった。


名前の由来はイエメンの「モカ港」

ところで「モカポット」の「モカ」とは何だろうか。

これは、かつてヨーロッパへの主要なコーヒー輸出港だった、イエメンの都市モカ(Mocha)に由来する。コーヒーがヨーロッパへ広まる玄関口だった歴史ある港の名前が、この家庭用コーヒー器具に受け継がれているのだ。

コーヒーの歴史をたどると、その発祥はエチオピア、そして飲み物として花開いたのはイエメンだった。マキネッタの名前には、そんなコーヒーのルーツへの敬意が込められているとも言える。


まとめ

マキネッタ(モカポット)は、エスプレッソマシンと同じ起源から生まれたのではない。約30年後の1933年、「家庭でバールのような濃いコーヒーを」という別の願いから、しかも洗濯機の仕組みをヒントに生まれた発明だった。

その背景には、アルミニウムを礼賛したファシズム期の時代精神があり、大ヒットの陰には息子レナートの巧みなマーケティングがあった。そして「口ひげの小男」とともに、マキネッタはイタリアの家庭の風景そのものになった。

次にマキネッタでコーヒーを淹れるときは、あの「ゴボゴボ」という音の向こうに、洗濯機を見つめる発明家のまなざしと、90年近く続くイタリアの家庭の物語を思い出してみてほしい。



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— TARS

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