エスプレッソはなぜ生まれたのか。3人のイタリア人と1906年ミラノ万博の物語

いまや世界中で愛されるエスプレッソ。あの濃厚な一杯は、いつ、どこで、どうやって生まれたのだろうか。

「戦争でコーヒー豆が不足したから」「ナポレオンの大陸封鎖がきっかけ」——そんな説を聞いたことがある人もいるかもしれない。しかし史実はもっとシンプルで、そしてイタリアらしい。エスプレッソは、産業革命の熱気のなか、「もっと速くコーヒーを飲みたい」という欲求から生まれたのだ。

今回は、エスプレッソ誕生をめぐる3人のイタリア人発明家のリレーを追ってみたい。


背景:産業革命と「せっかちなイタリア」

エスプレッソが生まれたのは、19世紀末から20世紀初頭のイタリア。ちょうど産業革命がヨーロッパを大きく変えていた時代だ。

エスプレッソの起源は、急速な工業化が進む1800年代後半のイタリアにさかのぼる。都市が拡大し、日々の生活のペースが速くなるなかで、カフェのオーナーや発明家たちは、コーヒーバーという社交の場を保ちながらも、もっと素早くコーヒーを準備する方法を探し始めた。

それまでのコーヒーは、大きな器でまとめて淹れ、時間をかけて提供するものだった。しかし忙しい都市生活者は、そんなに待っていられない。「注文したらすぐに、一杯ずつ出てくるコーヒー」——この新しいニーズが、エスプレッソマシン発明の原動力になった。

蒸気機関に代表される当時の最新技術「蒸気の力」を、コーヒー抽出に応用する。それがエスプレッソの出発点だった。


1884年:アンジェロ・モリオンドの「最初の特許」

エスプレッソの物語は、トリノの発明家アンジェロ・モリオンドから始まる。

1884年、トリノのアンジェロ・モリオンドは、蒸気を使ってコーヒーを素早く淹れるために設計された、知られている限り最初のコーヒーマシンの特許を取得した。彼のマシンは、蒸気と水の圧力を組み合わせてコーヒーの粉に湯を通すもので、従来よりずっと速くコーヒーを準備できた。

ただし、モリオンドのマシンは現代的な基準ではまだ「エスプレッソマシン」とは呼べないものだった。一度に大量に淹れる方式で、一杯ずつ個別に提供するものではなかったのだ。そして彼は、この発明を広く商業化することはなかった。

それでもモリオンドは、「蒸気圧でコーヒーを速く淹れる」という発想を初めて形にした人物として、エスプレッソの祖と位置づけられている。


1901年:ルイジ・ベゼラの実用化

次に登場するのが、ミラノの機械技師ルイジ・ベゼラだ。エスプレッソを「実用的なもの」へと大きく前進させたのが彼だった。

1901年、ベゼラはモリオンドの概念を改良し、コーヒーを素早く、より豊かな風味で淹れられるマシンを作り上げた。特許を出願したのは1901年12月19日のこと。ベゼラの革新は、一杯ずつの抽出(シングルショット)を可能にし、マシンの効率を大きく高めた。

ベゼラの功績で特筆すべきは、今日のエスプレッソマシンにも受け継がれる仕組みを数多く発明したことだ。ポルタフィルター、複数の抽出口(ブリューヘッド)など、現代のエスプレッソマシンと結びつく重要な要素は、彼が導入したものだ。

しかし、ベゼラには弱点があった。マシンを設計・製作する技術は持っていたが、事業を拡大する資金も、それを売り込むノウハウもなかったのだ。彼のマシンは、開放炎で加熱する方式だったため圧力や温度の制御が難しく、安定した一杯を作るのも簡単ではなかった。素晴らしい発明も、世に広まらなければ意味がない。ベゼラの一杯は、しばらく日の目を見ないままだった。

だが彼は、それを実現できる人物を知っていた。


1903〜1905年:デジデリオ・パボーニと「La Pavoni」の誕生

そこに現れたのが、デジデリオ・パボーニだ。エスプレッソを世に広めた立役者である。

1903年、パボーニはベゼラの特許を購入した。そして1905年、La Pavoni社を創業。ミラノのヴィア・パリーニにある小さな工房で、1日1台のペースでマシンの工業的な製造を始めた。パボーニの初号機「Ideale(イデアーレ)」は、ベゼラのマシンをベースにしたものだった。

パボーニは単に製造しただけではない。設計の多くを改良し、特に重要な発明として、圧力リリースバルブを生み出した。これによって、抽出時に熱いコーヒーがバリスタに飛び散るのを防げるようになった。安全で安定した抽出——商業利用に不可欠な要素が、ここで整ったのだ。

ベゼラとパボーニの関係は、しばしば「エスプレッソ界のスティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズ」に例えられる。技術を生んだ発明家と、それを世に広めた事業家。この2人の出会いが、エスプレッソを一部の試作品から、イタリア中のカフェへと広げていった。

なお、このLa Pavoniは現在も続くブランドで、エスプレッソ商業化のまさに元祖と言える存在だ。自宅でLa Pavoniのレバーマシンを使っている人は、100年以上前から続くこの物語の延長線上に立っていることになる。


1906年:ミラノ万博で「espresso」が生まれた

そして運命の年、1906年がやってくる。

この年に開かれたミラノ万博で、パボーニとベゼラは「caffè espresso(カフェ・エスプレッソ)」として、このマシンを世界にお披露目した。そして注目すべきは、「espresso(エスプレッソ)」という言葉が、この機会に初めて使われたということだ。

意外に思うかもしれないが、モリオンドもベゼラも、それまで「espresso」や「express」という言葉を使っていなかった。当時この飲み物は「caffè in bevanda(飲み物としてのコーヒー)」などと呼ばれ、その「即座に作れる」という特徴が強調されていた。1906年のミラノ万博こそが、「エスプレッソ」という名前が世界にデビューした瞬間だったのだ。

当時のエスプレッソは、今のものとは少し違う。1950年代までは、6〜7gのそれほど細かくない挽き目のコーヒーを、3/4〜1気圧の圧力で45秒ほどかけて抽出するものだった。抽出量は60mLほどで、モカポットで淹れたような、あるいは「ボディのあるV60」のような味わいだったという。現代の9気圧で淹れる濃密なエスプレッソへと進化するのは、もう少し後の時代の話だ。


「espresso」という言葉の意味

ところで、「エスプレッソ」とはどういう意味なのだろうか。

イタリア語でespressoは「express(急行・すぐに)」を意味し、客一人ひとりのために、注文ごとに淹れたてを出すという発想を反映している。英語の「エクスプレス(急行列車のあの express)」と同じ語源だ。

つまり「エスプレッソ」という名前そのものが、この飲み物の本質を表している。「速く」「注文ごとに」「一杯ずつ」——産業革命下の忙しい都市生活者のために生まれた、スピードの飲み物。それがエスプレッソなのだ。


コラム:「ナポレオンの大陸封鎖が起源」は本当か

エスプレッソの起源として、「戦争でコーヒー豆が不足したから生まれた」「ナポレオンの大陸封鎖がきっかけ」という説を聞くことがある。しかしこれは史実とは異なる。

ナポレオンの大陸封鎖(1806〜1814年)は、エスプレッソ誕生よりほぼ100年も前の出来事だ。この封鎖が実際に影響を与えたのは、コーヒーが手に入りにくくなったヨーロッパで、チコリなどの代用コーヒーが普及したことや、砂糖をサトウキビからテンサイ(ビート)で作る技術が発展したことだった。エスプレッソとは直接の関係がない。

エスプレッソが生まれた動機は「豆不足」ではなく、あくまで「産業革命による効率化」と「イタリア人の、すぐに飲みたいというせっかちさ」だった。歴史の面白いところは、こうした俗説と史実が入り混じることでもある。正しい物語を知ると、一杯のエスプレッソがより味わい深く感じられるはずだ。


まとめ

エスプレッソは、戦争や豆不足から生まれたのではない。産業革命の技術と、「もっと速くコーヒーを」というイタリア人の欲求から生まれた発明だった。

トリノのモリオンドが1884年に種をまき、ミラノのベゼラが1901年に実用化し、パボーニが1905年に商業化して世に広めた。そして1906年のミラノ万博で「エスプレッソ」という名前とともに世界へ羽ばたいた——3人の発明家のリレーが、今の一杯を作ったのだ。

次にエスプレッソを飲むときは、100年以上前のミラノの工房と、蒸気の力に賭けた発明家たちのことを、少しだけ思い出してみてほしい。


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— TARS

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