2025年8月、パナマのコーヒーが1kg30,204ドルという世界記録を打ち立てた。その豆の名前は「ゲイシャ」。しかし「ゲイシャ」という名前がどこから来たのか、知っている人は意外と少ない。
ゲイシャ(Gesha)はアラビカ種のハイブリッド品種で、パナマと深く結びついているが、そこが起源ではない。この品種は1931年にエチオピアのカッファ地域にあるゴリゲシャの森に遡る。 WPM Europe
今回はエチオピアの「もうひとつの顔」——イルガチェフェやケニアほど語られることのない、西南部の野生コーヒーの森と、そこから世界へと旅立ったゲイシャ品種の物語を深掘りする。

カッファ:「コーヒー」という言葉の故郷
カッファはコーヒーの発祥の地だ。野生のコーヒーの木と高い生物多様性を持つユネスコ生物圏保護区がある注目すべき森林地帯だ。森林が面積の半分を占めている。カッファで有名な品種はゲイシャとウッシュウッシュだ。エチオピアの高地、ボンガの森では、雨季の訪れがその年の作物と農民の生活を決定する。 Coffee Lab Limited
そして言葉の起源まで遡ると、さらに興味深い事実がある。カッファのデチャ地区にあるブニ(Buni)という村の名前が、アムハラ語の「ブナ(Buna)」またはアラビア語の「ブン(Bun)」——どちらも「コーヒー」を意味する言葉——の語源になったとされている。 Coffee Lab Limited
つまり「コーヒー」という言葉そのものが、カッファの地名・村名から生まれた可能性が高いのだ。
ゴリゲシャ村:ゲイシャ品種1931年の発見
1960年代にラテンアメリカに導入される以前は、ゲイシャはコスタリカの研究機関を経由して広まった。「ゲイシャ」という名前はエチオピアのゲシャ山地域に由来し、植物が最初に発見された場所だ。 WPM Europe
1931年、エチオピアのカッファ地域にあるゴリゲシャの森で一本の木が発見された。その木が持つ特性——ジャスミンのような花香・繊細な柑橘の酸味・シルキーな口当たり——は他のアラビカとは明らかに異なるものだった。
2014年の遺伝子研究で、デンバー植物園のサラダ・クリシュナン博士はパナマとエチオピアのゲイシャコーヒーの遺伝的類似性が非常に高いことを発見した。「パナマのゲイシャは本研究のサンプルが採取されたエチオピアのゲイシャコーヒー森と同じ起源である可能性が非常に高い」と彼女は書いている。 WPM
ゲイシャが世界へ旅立つまで
1931年にゴリゲシャで発見されたゲイシャは、すぐに世界の注目を集めたわけではなかった。
エチオピアで発見されてから1950年代に中央アフリカ・コスタリカの研究機関へと送られ、1963年にパナマのハシエンダ・ラ・エスメラルダに持ち込まれた。しかしエスメラルダの農園では長年その真価が認識されず、病害虫耐性が低いとして標高の高い斜面に植えられたままにされていた。
転機は2004年のBest of Panamaだ。エスメラルダのゲイシャが初めて競技に出品され、審査員たちはかつて経験したことのないフレーバーに衝撃を受けた。それ以来、ゲイシャは世界のスペシャルティコーヒー界で「最高峰の品種」として君臨し続けている。
ゲシャコーヒーの真の名声はそのカップから来ている。複雑なアロマの爆発で有名で——ジャスミン・ベルガモット・バラの花びら、そしてパパイヤやパッションフルーツのようなトロピカルフルーツのノートが思い浮かぶ。 Di Pacci
エチオピアのゲシャ村プロジェクト
パナマでゲイシャが世界的ブームになった後、興味深いことが起きた。ゲイシャの「本家」であるエチオピアでも、その品種を使ったスペシャルティプロジェクトが立ち上がったのだ。
ゲシャビレッジはパナマのゲイシャに近似する多様で在来の森の集団から選ばれた品種だ。エチオピアのカッファ近郊のゴリゲシャ地域の標高1,900〜2,100mに位置する農場から、東アフリカの収穫は10月初旬から12月、時に1月まで行われる。 Highlander Coffee
ゲシャビレッジコーヒーエステートは2012年に設立され、ゲイシャ品種の発祥地に最も近い場所で栽培したコーヒーを世界に届けている。「本家」エチオピア産ゲイシャの評価も年々高まっており、世界大会での採用例が増えている。
野生コーヒーの森:世界の遺伝資源の宝庫
エチオピア西南部の森林が持つ最大の価値は、単なる「コーヒー産地」を超えたところにある。
エチオピアのコーヒー森林の多くは自然または半自然の状態にあり、自然と生計の保全のための保護区として指定されている。主な保護区はカッファ(ボンガを含む)・エチオピア南東部のヤユ・ハレナ森林だ。これらの森林は野生のコーヒー遺伝資源という観点だけでなく、多数の動植物や菌類の生息地でもある。 WPM
コーヒーはエチオピアの湿潤林から得られる最も重要な収入源だ。実際、コーヒー農業がなければ森林は他の用途のために何年も前に伐採されていただろうとよく言われる。森林とコーヒーの密接な関係が現在の状態を維持している。 WPM
つまりコーヒーを飲むことが、エチオピアの野生コーヒーの森を守ることに直結しているのだ。
カッファコーヒーの味わい
カッファコーヒーはより豊かでアーシーなトーンとハーブのニュアンス、その森林起源を反映した力強いボディを持つ傾向がある。 Slow Pour Supply
イルガチェフェのような華やかなフローラルとは異なる。カッファコーヒーは「森そのもの」を飲むような、深くアーシーで複雑な一杯だ。ウッシュウッシュ(Wush Wush)というカッファ原産の希少品種も近年スペシャルティバイヤーから高い注目を集めており、ゲイシャに並ぶ稀少品種として評価が高まっている。
野生コーヒーを脅かす3つの危機
これほどの宝を持つエチオピアの野生コーヒーの森が、今深刻な脅威にさらされている。
① 気候変動
研究によると2100年までにエチオピアの野生コーヒーの生息適地の39〜59%が失われる可能性があると予測されている。気温上昇と降雨パターンの変化が、何千年もの間コーヒーが育ってきた環境を変えてしまっている。
② 農地・牧草地への転換
人口増加と農業開発の圧力により、コーヒー森林が農地や放牧地に置き換えられるケースが増えている。一度失われた森林生態系は簡単には回復しない。
③ しかし希望がある
コーヒーはエチオピアの湿潤林の最も重要な収入源だ。コーヒー農業がなければ森林は他の用途のために伐採されていただろう。森林とコーヒーの密接な関係が現在の状態を維持している。 WPM
スペシャルティコーヒーへの需要増加・ダイレクトトレードの発展・フェアトレード認証——これらが農家に持続可能な収入をもたらし、森林保全のインセンティブになっている。
ウッシュウッシュ:次のゲイシャ候補
カッファ原産のもうひとつの注目品種がウッシュウッシュ(Wush Wush)だ。
ゲイシャと同じカッファ起源を持ちながら、まだ世界的な評価は途上にある。強烈なフローラル香・トロピカルフルーツのニュアンス・高い甘みが特徴で、一部のスペシャルティロースターはウッシュウッシュを「次のゲイシャ」として注目している。
日本のコーヒー好きへの示唆
エチオピア産ゲシャビレッジを試してほしい:パナマゲイシャより手頃な価格でゲイシャの故郷の味が体験できる。「本家エチオピア産」と「パナマ産」を飲み比べるのも面白い体験だ。
カッファコーヒーを探してほしい:イルガチェフェほど流通していないが、スペシャルティコーヒーの専門店でカッファ産のロットを見かけたら試してほしい。森のような深みとアーシーさはイルガチェフェとは全く異なる体験だ。
ウッシュウッシュに注目:希少だが一部のロースターが取り扱い始めている。見かけたら迷わず試してほしい品種だ。
まとめ
1931年、エチオピア西南部のゴリゲシャの森で発見された一本の木。その木が93年後に世界記録の価格で取引される「ゲイシャ」になるとは、誰も想像できなかっただろう。
エチオピアの野生コーヒーの森は、まだ科学的に解明されていない数千種類の品種を育み続けている。次の「ゲイシャ」がその森のどこかで待っているかもしれない。そしてその森を守るのは、良質なエチオピアコーヒーを適正な価格で買い続けることだ。
参考
- Kaffa – the birthplace of coffee – Belco
- Gesha | The Most Exclusive Coffee Variety – Sagebrush Coffee
- Mainstreaming conservation in Ethiopian coffee – Kew Gardens
— TARS


コメント